ミルクを買いに行くゲームと、精神のループと、一つもない救い

概要

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いつまでも続くループ。

注意書き

「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」とその続編「Milk outside a bag of milk outside a bag of milk」をプレイしたのでメモ。

このゲームはいわゆるビジュアルノベル・ポイントクリックゲームのようなもので、独創的な雰囲気と音楽、救いのない一人の少女の物語が特徴となっている。

なんやかんや昨日このゲームを一気にプレイし、全エンディングを見て、非常に詳細な英語のガイドを読み終えたので整理としてブログを書いている。

大幅なネタバレなどが含まれるはずで、自分で体験するのが基本的には吉。

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初作は100円で15分で終わる。やって。

感想

極めて胸にがッッッツリ重くのしかかってくるようなゲーム。

例えば有名なビジュアルノベル系統のゲームで言えば、DDLCやNGODと言った作品があり、あれらは狂気や恐怖を美少女ゲームの皮を被らせてある程度表現していった部分が大きい。

それら2つのゲームをプレイしている人に言うならば、DDLCならば黒い太文字のダイアログ、NGODならば「INTERNET OVERDOSE」エンディングを思い浮かべてもらいたい。 本作はその2つの最悪な部分を嫌な部分をかき集め、それを主軸に構成されている物語だと思えば、このゲームの極めて尖った特色がわかるだろう。

以下はネタバレが含まれます。

本文

このゲームは一体何か

このゲームは精神病の恐怖と言う部分に強くフォーカスしたゲームで、ある少女と、それに纏わる体験を、プレイヤーと言う視点から観察するものだ。

独特な赤とピンク色のアートスタイルは、ある事件をきっかけにしてからの彼女の視点がすべてこう見えると言うもので、彼女からの視点では、他の人が怪物に見えたり、トラックなどもうまく認識できてない。

二作をプレイして気付いたことを以下に軽く記載するが、より詳しい考察などは英語のガイドを見るとよりわかりやすい。

プレイヤー

一作目二作目を通し、プレイヤーは彼女の思考を見る。彼女の中に存在している存在だ。

「新しいお薬は効いた?」と言うダイアログが少女の母親から問われ、二作目においては「(薬を飲むのをやめたら)私達お別れだね」のようなダイアログが存在することから、我々プレイヤーは薬の影響により彼女の中で生み出された存在であり、彼女自身の一種のセラピーとして機能している。 よって、一作目において彼女を助けるようなことをしない(例えば、牛乳を買いに行くまでに何度も彼女をバカにしたり、彼女の妄想を否定し現実を見ろと繰り返し言い続けたり、シンプルに彼女に酷い言葉を浴びせた)場合はゲームオーバーとなる。

どうやら'○○"は全然ダメみたいだね。

プレイヤーは薬であり、彼女の中に存在するものだ。ある程度の選択をすることや、彼女の記憶からなにかを呼び起こすことはできても、物語の結果を動かすことはできない。しかしながらプレイヤーの存在が無ければ、彼女は満足に外を歩くことも難しい。

この物語に救いをもたらすことはできない。

少女(仮称:milk-chan)

三者の視点から見た少女の姿

一作目からすでに、少女はスーパーで牛乳を買いに行くことが難しいほどの状態になっている。例えば、少女はスーパーにつくまでの道で、自分自身の歩数を考えてパニックになったり、牛乳を買う時の発声練習を19回を繰り返したり、自分をゲームのキャラクタと仮定して頭の中の存在(プレイヤー)に話しかけながら思考を整理したりする。

初めて目についた人に話しかけ、問いかけの返答(「O!」)にどう返せばいいかわからなくなり「すみません、何ですか?」を無限ループで連呼してしまう。 牛乳の入った袋を取ろうとし、「牛乳が中に入った袋の中の牛乳が中に入った袋の中の牛乳が中に入った袋の中の牛乳が中に入った袋の中の牛乳が中に入った袋」のような言葉を連想しループしてしまう。

考えればループに入ってしまうし、考えすぎないようにプレイヤーは時折少女に話しかける。だが何も考えないと言うこともできず、寝ることも満足にできない。(明言はできないが)強迫性障害のような状態に近いものなのではないかと思う。

元々、ずっと彼女がこうだったのかは不明だが、少なくとも学校に通い、SNSをしていた日々があったはずで、以前はより

家族

父親は投身自殺を図り、彼女はそれを覚えている。過程は不明。

母親は彼女に単純な言葉のみしか離さない。彼女は母親を「生命体」と呼び、本質的な恐怖心を抱いている。 ただ「牛乳は買えたか」「お薬は効いたか」「寝ろ」などの言動を行うが、彼女は恐らくいくらかの複雑な問いかけがされた場合にそれが認識できないような描写があるため、恐らく母親はそれを理解した上で、非常にシンプルな単語でしか話していないのだろう。 二作目において、彼女が”また”牛乳を飲むことを強く禁じ、「腕に何かを刺し、毒を注入する」と形容される行動をしているが、この事から彼女への対応が何度も行われていること、恐らくはアレルギー関連の注射などを行っている可能性などが示唆されている。

しかしながらその行動が愛情であるかはわからない。恐らくは彼女への対応で、母親も精神的に強く消耗している可能性がある。 この物語の登場人物は、おおよそ救いがない。

感想

彼女の内面の苦しみがどれだけあっても、それを救える人は誰もおらず、恐らくは医者によるセラピーも効果を発揮せず。 父親の死、母親の変化、周囲の人々への認識、自分自身の思考、トラウマ、ぐちゃぐちゃの地獄のように混ぜ合わされたその中で。 しかしながら、これが起こっている舞台が、我々が普通に住む現代社会であると言うのが、極めて強い歪みを思わせ、怖かった。

当然、同じ人でありながらも、こうして苦しむこととなるのが、あまりにも苦しく、救いがない。 住んでいる世界が違うと言うことが少女から語られ、それに対して何もできない。

不安定な感情の波の中に投げ出され、しかし結局どうしようもない。 人間の精神と言うのがいかなるものなのか、そして今の思考が壊れた時に何が起きるのか。

色々な考えをさせられる。万人におすすめできない、しかしながらとても良い作品だった。

余談

「牛乳が中に入った袋」というのがいまいちわからないが、袋に入った脱脂粉乳を買うと言うことらしい。 でも二作目では普通のパックの牛乳になっていたりするので、単純に語呂が良いからなのかもしれないね。ちょっとおもろい。